家庭菜園をはじめました(耕す)

茂りに茂った草木を刈り取ったあとは、ひたすら耕す。土を掘り起こすと、土はちょっと粘土質。ミミズがにょろっと顔をだし、うねうね動く姿をじーっと見て、まだまだ土は元気だなぁ、とうれしくなる。

よいしょよいしょと鍬を振り上げては下しを繰り返す。少しずつ無駄な動きが減ってくるように思える。楽な方法を自然と体は探しはじめるようで、頭に考えろと命令をする。そうやって、能率をあげる、人間は学んでゆく生き物だということをあらためて実感するのだ。

汗がたれるなか、思い出した。「はたらく」は「はた(畑)をらく(楽)にすること」。そうだ、自分をきつくする追いつめるためじゃなくて、楽に楽しくするために、仕事はあるんだな。

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母親みたいな

 実家に戻ってきたからか、母親と行動をともにする時間が増えた。

 

この前、近くのスーパーに買物に行った。近いのでそりゃ歩く。母とどこか一緒に歩いていると、植物についてよく話題があがる。

途中、ふと、一軒の家に高くそびえたパパイヤの木をふたりでみつけた。「立派だねぇ」と言う母に、「うん、そうね」と返すぼく。

 

気づいた。ただ歩くってことも、おたがいの目線をシェアし合えると楽しめるよな、と。こういう散歩ができる女性が好きだったけなおれ、と。

そのとき初めて、母親みたいな女性に惹かれるというのはあるのだなあ、とひとりでうんうん納得した。

 

わからなかったものが、またひとつわかるようになる。これは成長なのか。

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アパートメントぐらし、はじめます

 

これ、リアルじゃなくて、ネットの話です。 アパートメントぐらしをはじめます。

 

アパートメント」というウェブマガジン、というかコミュニティがあります。サイトをひとつのアパートに見立て、いろんな住人がここに入居しながら、自分の部屋を模様替えするかのよう、おもいおもいに記事を書いています。

実際は、ここで書くみなさんのいばしょは国内外にちらばっているのですが、遠くから投稿することで、だれかが投稿した記事を読みに、この場所に集まって、くつろいでいるかんじでしょうか。

 

それぞれはお互い壁の向こうは知らない、けれどそこにはそれぞれのひとの生活があってそれぞれの想いがあって、それは同じ時間のなかで営まれている。
アパートは全部を見たら箱だし、ひとつひとつの部屋を見たらひとだし、それぞれと話したらあなたになる。
隣にいる、向かいにいるあなたと、逢ったり話したり笑ったり、そんなことをこのアパートで。

 

 と、管理人のひとりの朝弘佳央理さんは言います。体温のあるアパートなんですね、ここは。ちなみに、この記事にも使わせてもらったトップ画↑は(ありがとうございます)、矢野ミチルさんが描いた作品です。

 

アパートメント2

 

絵描き、物書き、ダンサー、音楽家、詩人、サラリーマン、職種も年齢もジェンダーも幅ひろい住人が(書きてとして)います。このごちゃごちゃ感がすてきなんですね。それで、ぼくが記事を読んでで特にビビッときたのは農家さんでした。

お米農家 やまざき さん。

 

お米農家 やまざき   アパートメント

 

文章を考えてるのは、旦那さまで、タイピングをしているのは奥さまだそう。それだけでほっこりとするのですが、文章というか、自然を感じとる感性がうつくしいな、と大袈裟かもしれませんがそう思いました。

こんなにも、身近にある「食」なのに、その裏側にあるいのちの逞しさや神秘さに気付けなかった自分が恥ずかしくなるくらい。

米という、種のこと。

 

前置きが長くなってしまいましたが、アパートメントにぼくも入居できることになりました。 というか、もう8月から住人になっていて、書きはじめています。共同管理人でもある鈴木悠平さんににポンと肩を叩いてもらえたのがきっかけです。ありがたや。このエッセイあったかくて好きです。

中央線の少年

 

今は“当番ノート”で毎週水曜日を担当させてもらっています。以下は8月から寄稿させてもらっている記事です(随時追加します)。ここでは「くらしとカクテル、たまに妖怪。」ということで、「カクテルがくらしの一部になれたらいいな」を意識しながら書いています。妖怪はおまけです。ハッピ—セットのおもちゃみたいな。

 

アパートメント 当番ノート

3000円の飲み方を考える 

ぼくにとっての「Gin Tonic」

お酒は飲めなくてもいい

カクテルとチームワーク

いなくてもいい存在をかわいがること

はたらきかた、がつくるもの

 

のむ空間と、のみものの可能性がすこしでも広がっていけばいいなぁ、くらしとカクテルがいいかんじにリンクしていけばいいなぁと、思いながら書きつつ、いつも自分の思いを整理させてもらっています。これはアパートメントで書いてのメリット部分ですね。

というのと、定期的に日にちを決めて書くことをさせてもらってるので(しかも編集は全くなし)、文章の自主練の時間をつくってもらっている感覚もあります。いつもギリギリで、ひぃひぃ言いながら書いているのはここだけの話ですけど……笑

 

あと、「みんなで書く、つくる」メディアのロールモデルとしてもとてもためになります。実はぼく自身「ハチナナ・ハチハチ」というものも運営してたりするので。

 

(最後に)あ、実は、住人といってもですね、8月と9月の2ヶ月だけなんです。だから合計8本書かせてもらえるわけです。残りも楽しみながら、なにか自分でもハッとしながら、なにかくらしの足しにできる話ができたらなと思います。

いってみれば、期間限定のレオパレス住人のようなものなので、「来たときよりもうつくしく」と小学生時代のまなびを胸に、部屋を汚しすぎないようにしたいです。がんばりすぎずに、がんばります。ごえんに感謝。

/ アパートメント

 

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家庭菜園をはじめました(開墾)

 自分が食べたいものを、お金で買うのでなくて、自分の時間を支払うことで、手に入れられたらいいなと思って。

母が近所で畑を借りたという、グッドタイミングもあったので、ちゃっかり便乗。だけども、されども、ずっと使われていなかった気配で、草木はぼーぼー、抜きがい刈りがいがあるというもんだ。

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土地の3分の1ほどを、分譲してもらったので、すこしずつ整備していこうか。薬草を主として、カクテルに使える果物など、をそだてるつもりだ。

鍬でせっせと耕すんだけど、なれないもんで、すぐに手に豆ができた。久々に、汗もびっしょりかいた。けど、心のどこかさらさらと気持ちがよい。

 

畑の奥には、古井戸もある。なんか和んだよ。

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なんでかここに居るよ

ぼくはあまり「生きる」って言葉を使わないようにしている。それは、すごいことだから、ほんと尊いことだから、ただ息してここに居ることは。

あとね、「生き方」を連呼する人もすこし苦手だったりする。使い過ぎることで、言葉の価値というか、意味というか、そういうものが、しゅーっと消えていくような気がしてしまう。いのちのきれいなところを、消耗している感じもする。

そのうえでの話でなんだけど、(主語は自分)生きている、生かされている、生きてやっている、どの表現の気持ちも、持っていたほうがいい、なんとなくだけどそう思う。

ここに居ることに、ごめんとありがとう、と浮き沈みがあったら、さらに生を感じる。山あり谷あり。

 

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8時だョ!全員集合できる?

ぼくは伊平屋島(沖縄)というド田舎で育ちました。それから、東京生活を味わっています。

あたり前でしょ? とつっこまれるのを覚悟で言うんですが、都会といなかは違います。なにが違うって、時間の過ごし方、時間の感じ方でしょうか。1日は同じ24時間なのに不思議ですよねぇ。

 

小豆島に3ヶ月ほど滞在していたことがあります。そのとき同世代で「地域おこし協力隊」で活動する向井くんと出会いました。彼は奈良出身で、大学から京都、そして今は小豆島という土地遍歴を持っています。

cf. / 小さな社会実験場

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冬の、小豆島の海はおだやかすぎて、時間の感覚を忘れちゃいそうでした

 

で、ですね、彼とこんな話をしました。「18時に日本全国にいるみんな、なにしてんだろうね?」と。まだ仕事している人もいれば、もうお酒を飲みはじめてる人もいるし、家族と食卓を囲んでいる人もいて、ほんとさまざま。

たいてい18時は、都会の人からすれば“まだまだこれからだ!”という序の口の時間帯ですよね。反対に、いなかの人からすれば、もうまったりしてる時間だったりすることが多いです。そう、いなかは夜がしとしと長いんですよね。

日曜日の18時でさえ、ちゃんと家にいれて「ちびまる子ちゃん」を観れる人はどのくらいいるんでしょうか。

 

自分の東京時代を振り返ってみました。そもそも仕事が21時過ぎに終わります。それでそのままカフェでも行って作業をして、終電で帰るのがあたり前でした。これがあたり前だなんて、ちょっと悲しいですよね。時間に追われまくっていて。うまくは言えないですが、地元では時間を追うというか、ちゃんと時間と一緒に過ごせている感覚がありました。

小豆島にいるときは、18時にはもう仕事は一応終えていて、自分が好きなことだったり、みんなでご飯を食べる準備をしていたり、のんびりできていた気がします。

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冬の、小豆島の18時は、やっぱり真っ暗でした。その手前に、かかさず海辺で1枚ぱしゃり

 

だから考え直したんですよね。なるべく、はたらかないようにしようと。時間帯を指定して「ここは家にいよう」とか「ここはだれかと過ごそう」とか、はたらく時間よりもくらしの時間を優先したいなと。

くらしに標準を合わせて、逆算してはたらく。そっちのほうが、1日がちょっと長くなって気持ちいいんですよね。仕事のこなし方に頭を使うようになって、前より効率もよくなれた気もします(そんな気がするだけは恐いですけどね。)

あるいは、はたらく環境そのものを一度疑ってみて、調整してみるのもひとつの手だと思います。場合によっては、転職の選択肢もでてくるかもしれません。

 

(これまで)自分がある時間になにをしてるか振り返ることと、そして(これから)自分がその時間になにをしていたいか見直してみること。それが自分のくらしのリハビリになりますし、大切にしたいことです。

「この時間には、この場所で、これをしてたいなぁ」というくらしの像を描いてから、はたらき方をむむむと整えて、仕事選んでいく。仕事のためにくらしがあるのでなく、仕事はあくまでくらしの一部として。自分のくらしをつくるために、汗をかけたほうがいいですよね。

 

小豆島で向井くんと話したのは“18時”という時間について。ただいっても、18時はあくせくする、けっこー大変な時間。それなので、“20時”がひとつの基準にしやすい気がします。

かつて『8時だョ!全員集合!』という超絶人気番組がありました。ゴールデンタイムですが、当時は家族みんなが集まって、一緒にテレビを観るなんてなごやかな時間があったんでしょうね。

ただ今はどうなんでしょう。20時に全員集合できるの? 時代とか社会のせいだ、という理由でそれできなくなったとしたらほんと寂しいことです。

 

ぼく思うんです。20時を大切にできる人が増えれば、日本はもっともっと楽しい国になるんじゃないかって。OTTOとしては、30才で、子どもと一緒にご飯を食べている20時にしようと決めています。そこめざして、今から準備を”いろいろ”がんばります。

20時になにをしてる? ほんとはなにをしていたい? たまに、ふと我に返る「ちゃんと、くらそうよ」スイッチが入るんですよね。みんなもどっかしらに付いてるスイッチだと思うんだけどなぁ。オンになるのはいつだろ。

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「Bols Shows Your Colours」大事なことはぜんぶバーテンダーから教わった

もう何回観ても「いいよね」と思える映像ってありますよね。 「Augment5」の日本シリーズとかそれなんですよね。日本人の知らない日本の姿が画面の向こうに映し出されて、ほれぼれしちゃいます。

 

それとは別なんですけど、何回観てもいいよね、はもちろん、観るたびに「いろいろあっていいよなぁ」と気持ちがほぐれる映像がぼくにはあります。

 

『Bols Show Your Colours』

 

この映像は、トップバーテンダーたちが行ったカクテルワークショップの様子が映し出されています。ウクレレ?の軽快な音楽をBGMに、あらゆるバーテンダーが、自分の色とアイデアを生かしたカクテルづくりを披露しています。

ちなみにBolsは、アムステルダム発の、世界最古と歴史も深いリキュールメーカーですです。

 

もしカクテル自体に興味がもてなくても、多様性とか個性とかを、ちょっとだけ考えられる映像だと思います。なにより楽しそうな人たちでいっぱいです。約4分ほどの映像になっていますが、ぜひ観てみてください。(映像は文末にあります)

ぼくは、大事なことはぜんぶバーテンダーから教わりました。

 

時間がない方のために、スクショ画像でちょっとだけご紹介しますね。

 

Bols Show Your Colours  2
さまざまな恰好、スタイルで、
Bols Show Your Colours
女性バーテンダーももちろんいて、
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シェイカーを振る姿だって人それぞれ。
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シェイカー後のティンを、肘をつかって外すのがイカしてますよ
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飾り付けでインパクトがあったり、
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ツールを変えて、自分のつくりたいカクテルをかたちにしていきます
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見た目だけだと「え、これがカクテル!?」なんてものも
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一杯一杯に、バーテンダーの想いと、ユニークが詰め込まれます

 

自分らしさってなんだろう。とこの映像を観るたびに考えます。他の違っていてもいいんだ、むしろ違っているからいいんだ、自分の色を出すにはどうしたらいいんだろう、というフレーズが頭のなかを巡りに巡って、最後には元気づけられんですよね。

違うことをよしとし、認めながらも、どこかで協調しながらも、のびのびと、一人ひとりが楽しく、つくりたいものをつくることができる。自分自身がそうでありたいですし、そういう雰囲気をかもせる場づくりができたらな、とシャッキリします。

 

せかせかしすぎたり、淡々とものごとをこなし、なんか大事なことを忘れている気がするなぁ。そんな時にはYouTubeを気付けば眺めています。ちょっとした原点回帰のための映像だったりします。

そういう映像ってだれにでもあると思うんですよねー。CMとかMVとかいろいろなかたちで。

 

ということで、お待たせしました(お時間ある方)最後に映像をどうぞ。よければ、観てみてってくださいね。ご感想などあれば、Twitter(@0mija)にでももらえると喜びます。めでたいので、その日はお酒を飲んじゃおうかな。

 

『Bols Show Your Colours』

YouTube Preview Image

 

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時をかけるブロガー。孫にとどいてこそ

 

ブログなんて、だいぶお気楽なもんだ。自分の書きたいことを書けるし、自分の好きなことや得意なことを、目に見えるかたちで表現できちゃいます。続けることで、自分の関心を引き寄せたり、そだてるのを手伝ってくれたりもします。

 

初っぱなから、飛ばし気味ですみませんが、ブログの不思議だなぁといつも思うんです。ぼくはブログ歴3年くらい。いろんなブロガーがいますが、ぼくは、わりとのんびりと書いてるタイプです。

とはいえ、ブログを書きはじめたことがきっかけで、ライターとしての仕事をもらえるようにもなったので、自分の“好き”と仕事をつなぐ架け橋でもあると、ブログ様様だったりもします。

 

ブログとはなんだろう、なんでやってるんだろう

ブログで書き続けるなかで、「ブログってなんだろう?」「なんでブログやってるんだろう?」も同時に考え続けてると思うんですよね。ブロガーと呼ばれる人たちはほとんどそうでしょう。

 

 ブログ運営がうまい人は、子育てもうまいかもしれない。

 カッコつけでブログは続かない。

ブログで「ログ」が溜まっていく意義をもう一度考えてみた #ブロガーサミット

ネタに困ったら

 

ぼくは定期的に答えを出したがる、かなり野暮なやつです。なので今回は、あらためて「ブログとは?」について考えてみます。

 

時をかけろ、孫までとどけ

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これまでは、自分の教科書づくりとか、好きな人を目の前に引き寄せるものとか、「自分」に焦点をあてたことばかり考えがちだったのですが、新しいことに気付きました。

ブログは「孫に読んでもらえる、自分のくらしてきた証になる」ということ。超長い目でみたときに、いわゆる「遺品」になりますね。どんなことを考えていたのか、どんなことをしていたのか、どんな人だったのか。

もし意識をもって書くのであれば、今からまだみぬ孫に向けた手紙を残すことだってできるわけですよね。ログってすごいなぁ。この概念を考えた人ほんとに偉いわ!

 

「自分」をタイムカプセルみたく詰め込んでおく

というのも、ぼくは自分のおじぃのことをよく知らないんですよね。母やおば、そしておばぁから聞いたおじぃの姿しか知りません。もう他界してしまっているのですが、ちゃんと話をした記憶もなければ、やはりどんな人だったのか、自分の感覚でつかむこともできません。

家族のことを知らない、ってとっても恥ずかしい。そして、悔しいな、と最近はよく思います。ましてや親についても、まだまだ知らないことだらけ。自分の子ども、さらには孫ができたときに、大見謝家の話がちゃんとできるのかなぁ、語り継げるのかなぁ、と不安になってしまいます。

 

だからこそ、面と向かって言葉を交わせなかったとき、時間のすれ違いで言いたいことも言えなかったときのために、ブログにそのときそのときの「自分」を詰めこんでおくことは大切だなぁと。自分という人間のアーカイブを、タイムカプセルとして残したいな、という気持ちが芽生えました。

 

ブログに血を流してゆく

ブログは自分の孫までとどいてほしいもの、孫に読んでもらえたらうれしいもの。今の答えはそんなところでしょうか。自分の血をブログに流すことが、昔はできなかったけど今はできる。ある種、現代の文明とともに歩んでいる証にもなるのかな、とぼくが生きた「時代」も一緒に伝えられるのかも。

 

どこかで、なにかのタイミングで、自分の孫が読んでくれるのかなぁ、とだいぶ先の未来を想像しながら、今、この文章を書いてます。どうだ、我が孫よ。長ったらしくてごめんね。あんたのじいちゃん、こんな人だからね。

 

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facebookをmixiにします

 

くらしとSNSの関係性を、考える機会が年々増えている気がします。

    facebook mixi bot

リアルとは違ったくらしの像を、SNSを使えば、ネットによくもわるくも描けますよね。最近このSNSとの関係性、特にいえばfacebookの付き合い方を変えることにしました。

 

新しいとか古いとか関係なく、「mixi」を使っている人はまだまだいると思います。ぼくも漏れずにそれで、アカウントを残しています。

ただ積極的にログインするわけではなく、Twitterと連携させてつぶやきを流す、という使い方です。なんというか、ぼくにとってmixiはもう「bot」みたいなものなんです。

 

ここ数年の普及で、もともとmixiでやっていたことが、いつの間にかfacebookに移っていきましたよね。これがざっくりした“mixi離れ”の流れではないでしょうか。そのfacebookから、またぼくは去ろうと思ってます。

facebookをmixiにします、facebookをbot化させます。

 

Facebookに距離をおくわけ

理由を5つあげます。

 

1. 反応に困ってしまう

投稿したことに対してコメントをもらえることがあります。ただ、性格上、これを返すコメントを考えるのに苦戦してしまいます。丁寧に返さなくちゃと思ってしまうので。個人的にはこれは大きかったです。

 

2. 結局は、流れてしまう

facebookの性質上ではありますが、タイムラインなので、投稿はすべて流れさってしまいます。なんとなく、刹那なことのために、注力して投稿するのはばからしいな思いました。というか、過去を振り返るとばかでした。フローでなくて、ストックできる自分の財産をネットでもつくりたい。

 

3. リア充(もどき)がたくさるいる

タイムラインを眺めていると、なんか楽しそうなというか、うさんくさいというか、「!」マーク満載の投稿がわんさか流れてきます。これが精神的につかれます。ましてや、コメントされると先ほどの「1」がやってくるのでうへぇー…….となります。

 

4.  力関係がみえてきて気持ちがわるい

最近はおじさん、おばさん世代がかなりfacebookにやんや登場します。仕事もできて、さらにfacebookも使うもんだから、彼らの投稿にはいいねやコメントがすぐ集まるんですよね。するとfacebookのこれまた性質上、タイムラインに現れること多いです。ネットにまで力関係がみえてしまって、バイラルメディア的な気持ちわるさを感じちゃうんです。どこかで儲けが生まれようとしているのが苦手です。

 

5. 井の中の蛙だ

元も子もないんですけど「自分のfacebook投稿は、そもそもだれも見ていない」と考えるようにしました。反応があったとしても、それは知り合いだからなだけで、リップサービスみたいなもの。いい投稿ができれば、どんどん広がるんでしょうが、身内からはじまると一般化はしにくいです。知り合いからのいいねやコメントに甘えているのは、自分をだめにする気がしました。一応、もの書きのはしくれとして。

ここらへんは、松倉さんの記事を読むとすこしはニュアンスが伝わるかもしれません。

誰も君のことなんか見てない – CNTR

 

具体的に変わること、変わらないこと

facebookはもともと「仕事:プライベート=50:50」みたいな使い方をしていました。

mixiからfacebookに移ったように、革新的なプラットフォームができたわけでもないので、投稿のベースは「Twitter」「Blog」「Instagram」と分けます。Blogに一番力をいれていきたいです。

ということで、Blog(このOTTOもそうです)での記事投稿を増やします。それを予約投稿サービス「Buffer」でTwitterはもちろん、Facebookにひたすら流していきます。そうやってbot化させます。

buffer
もう2年くらい使ってますが、Bufferは超便利です

先ほど「そもそもだれも見ていない」と言いましたが、だれも見ていないからこそ、botのように大量に流しても大丈夫だろうと、bot化を決めました。

これまでは、ぼくごときが投稿し過ぎたら迷惑だろうなぁ、とへんな気を遣ってましたしね。へんだったのはぼく自身でした。

 

facebookの「ページ」「グループ」「メッセージ」機能は今後も使います。ここでのコミュニケーションが必要なことは多いですし。それと、情報収集としてフィードは眺めます。気が向いたときに、いいねしたりコメントしたりします。

facebookの個人ページ(閲覧でなく投稿側)だけが非アクティブになる。というのが、変化として一番正しい表現かもしれません。これが今後のぼくのfacebookとの付き合い方です。

 

mixiのときもそうでしたが、別にfacebookがわるい、とSNS自体への文句が言いたいわけではありません。良くするのも悪くするのも使うユーザー次第なんですから。

そもそもはテクノジーですから、くらしをよくするためにSNSもあるのでしょうね。だからこそそれに捉われたくはないな、と思います。とりあえず、facebookにぼくの肌質が合わなかった、ということでしょうか。facebookと距離をおいていきます。

もしかしたら、これがぼくの“デジタルデトックス”のはじまりかもしれません。それか、もしかしたら、ぼくがへんくつなだけかもしれません……。

facebook mixi bot 2

 

ちなみにですけど、フォローのはずし方について

facebookで、ぼくみたいなタイムラインがうるさい人がいて、自分のフィードにもう流したくないな、思ったら友達のままでもフォローをはずせますよ。

ぼくもなんだかんだフィードを整理したくて、知り合いでもそぉーっとはずしてます。会ったらどんなに楽しく話せる人でもです。リアルとネットは違いますしね。ここらへん気軽でいいと思います。

facebookでフォローのはずし方

 

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映画を観るときの自分ルール

ぼくは、映画がそこそこ好きです。

 

大学時代、友人宅に遊びに行くと、TSUTAYAのシネマハンドブックがありました。彼はブックに載っている500以上の作品を観ていて、さらに自分なりのレビューを各ページに記していました。「すげぇな、こいつ……..」と映画への狂気を感じたのは、あの時が初めてでした。彼の一番好きな映画は『ロッキー』だったかな。

ぼくの映画が好きなレベルは、彼ほどではないです。なんかぽっかり空いた穴を埋めるように、自分のモヤモヤをスッキリさせたかったり、涙をながすきっかけが欲しかったり、知らないものがたりを知りたかったり、くらしのヒントをつかみたかったり、そんな程度で好きです。映画を語りたいわけじゃないんすよね。

 

そんな映画なんですけど、自分なりにルールを決めてみるようにしています。映画を“観たあと”にすること。どちらかと言えば、映画館というより、“DVDで観るとき”のこと。

 

映画を観るときの自分ルール

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1. 公式サイトを調べる

ものがたりの概要や、役者インタビュー、制作における小話などのコンテンツがここに詰ってます。サイト自体が広告媒体になってるので情報を漁れるだけ漁ります。

あとは、映画作品ごとにサイトづくりも違うのでチェック。作品によっては、Facebookページ、Twitterアカウントものぞきますね。

 

2. Wikipediaで調べる

作品情報がけっこーまとめられてるんですよね。ものがたり概要はもちろん、登場人物の特徴だったり、誰が誰役だとか。役者は気になった人がいれば、同じwikiから所属プロダクションサイトくらいまではリンクを辿ります。

役者に関しては、これまでに出演したTV番組・ドラマ・CM・映画はチェック項目。あとは、映画製作スタッフですね。監督と脚本家はなんとなく気になります。過去作品は頭に入れておきます。次に観る映画のためのガサ入れをwikiでしてるのです。

 

3. レビューをすこしだけ調べる

あー良かったな、あまり響かなかったな、とか作品を観終わると自分なりの感想がでてきます。他の人はどう感じたのか、とレビューサイトをすこしだけ覗きます。ほんとすこしだけ。「あー、そういう視点で観てるのか!」と発見があったりおもしろいです。映画を観る前には絶対レビューサイトは行かないですけどね。作品がつまらなくなっちゃうんで。レビューサイトはあくまで自分の感想を持ってからみるものです。

 

4. 刺さった台詞はメモしておく

なにがなんだか分らないけど、刺さる台詞ってあるじゃないですか。ハッとしたとか、気になったとかでもいいですけど。そういう台詞は、作品をぜんぶ観終わったあとに、書起すようにしてます。何度も巻き戻しては再生を繰り返して。「この台詞、なんで刺さったのかなぁ?」と答えのない答えを考えるあそびの幕開けです。

 

5. 「特報・予告編・TVCM」を最後に観る

1.5~3時間ほどの作品を、どうやって凝縮したのかな、と気になるんですよね。予告編をみると、よくいうシズル感が出てるじゃないですか。チラリズムともいえるのか、「あぁこれは観たいかも……!」となるような。いろんなカットをどう組み合わせてるのか、その詰め込みぐあいは映画を観るビフォーアフターで比べるとおもしろいです。

 


 

基本、観るなら、調べます。もともとガリ勉タイプなんですよね(笑)。一度知ったものは深堀りしないと気が済まないといいますか。それと、なるべくは自分が調べた情報からリレーでつなぐように、次観る作品がみつかったらいいなぁ、という気持ちもとても強いです。

ジャケ買いみたく、ジャケ借りはあまりできないんです。人から勧められてみるのは好きですよ。その人の想いもひきつれて作品を観れるので、楽しいですしね。

 

映画をくらしの一部として

というわけで最近は、一人映画リレーをしてるわけです。自分が観終わった作品からみつけた情報から、関連作品を探すように。ですけど、だれかのお勧め作品も観たいです。グロい系、激しく人を殴ったり蹴ったり系の作品はちょっと苦手ですが、それ以外なら。あ、フランス映画に挑戦してみようかと思ってます。フランス語の勉強もかねて。映画のおたより、お待ちしてます。

 

無理くりにまとめてみると、映画を観ることをこれまで以上に“くらしの一部”化できるように、映画を楽しみたいと思います。よい音楽、よいお酒、よい珈琲を知っている人は、どこかゆたかな気がしてます。よい映画と付き合っていけたらいいです。

ちなみに、冒頭で触れたシネマハンドブック野郎は、映画狂が通じて、東映ではたらき始めました。「好きこそものの上手なれ」ではありませんが、好きが知識を加速させ、知識と仕事が結びつく瞬間を身近でみれるとやっぱりうれしいものです。あいつ、元気でやってるのかなぁ。

 

 

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