もの書きなら聴いておきたい一曲『国語』by ハンバートハンバート

 

“もの書き”

というと、すこし仰々しい気もするけど、論文でも記事でも手紙でも”文章を書く人”には持ってこいの曲がある。

単刀直入に言うと、もの書きが聴いておきくべき一曲は『国語』(by ハンバートハンバート)だ。

多少なりとも、ライティングや編集に携わる身としては、やはり大事にしたいのは言葉の扱い方。その扱い方を考えるのに、よいヒントが散らばっている。(とぼくは思うのだ)

 

もの書きは『国語』を聴くといい

「国語」は6th Album『まっくらやみのにらめっこ』に収録されている。
『国語』は6th Album『まっくらやみのにらめっこ』に収録されてる。
ちなみに、公式サイトで試聴もできる。

> http://www.humberthumbert.net/disc/

 

 

どんな曲かというと

「この一曲おすすめです!」

というわりに、ぼくは音楽がてんでわかっていない。だから「音楽的にどうなのか?」というのは、正直、解説はできない。(ごめんなさい)

ただ軽快で愉しげなメロディーと、ボーカルの透き通ってて、しんと響く声は魅力的だなぁと感じる。ちなみに音楽好きの知人いわく、ハンバートハンバートは”オーガニック系”のジャンルに分類できるらしい。

humber cover3

そしてそして、何より触れておきたいのは“歌詞”のこと。

初っぱな『国語』というタイトルから考えさせられる何かがある。

一言にまとめると「その言葉の意味、ちゃんとわかって使ってんの?」という内容となっている。グサリと刺さる。言葉を考えるヒントになるフレーズをピックアップ。

 

みんなが普通に使っているコトバの意味がわからない

オリジナリティって?クリエイティブって?

外国語のコトバをカタカナに  わからないことを曖昧に

だますときにだけ使うなよ

てめえの都合で使うなよ

 

どうだろう。もの書きなら、あるいは、言葉を丁寧に使いたい人なら、少しドキッとしやしないか?

 

歌詞/フレーズから読みとった3つのこと

ぼくが先ほどあげたフレーズから感じたのは次の3つ。

 

■ 自分が無意識的に使っている“言葉”の意味ってなんだろ?

当然のように「この言葉はこういう意味だよな」と使っている自分をまず振り返ってみたい。自分の中だけ成立するものでなく、相手にも共有できる言葉なのかを考えてみる。

「自分が書いた文章は、この単語は、この文脈の中でどう捉えられるのかな?」なんてことを。”無意識を意識化する”作業は大事だよなきっと。

 

■ 騙すように使っている“言葉”はないか?

相手がその言葉をよく理解できていないとき、「こりゃしめたもんだ」と曖昧な言葉を、聞こえ良く使いまわす人がいる。相手の意識をコントロールしようとしてないか。それは欲張りだ。

言葉の響きというか、元々備えている言葉のポテンシャルを悪用してはいけない。頼りすぎちゃいけない。誰かの文章を読むにしても、自分が文章を書くにしても、”釣り(詐欺)”のような言葉は一切無いように。

妙な”作為”は断ち切りたい。

 

■ 都合よく、相手に“言葉”を押しつけてないか?

自分と相手、おなじ言葉を使っていたとしても、その意味と使用する意図には、微妙に違いが出ることだってある。ここで意味の擦り合わせができていないと、物事はうまく進みにくい。

意味の交換をちゃんとしておきたい。たがいの違いを理解しあわなきゃ。自分が使っている“クリエイティビティ”って「一般的にはどう思われてるんのかな?」「あの人はどう解釈してるのかな?」と想像しながら言葉を選び、文章としてまとめること。
自分の口から手から出てくる言葉は、発した瞬間にかたちを変え、自分だけでなく相手のものにもなる。だから自分の言葉から生まれる言葉には慎重に、丁寧に向きあいたい。

 

最近この記事で”きれいな言葉”について考えたこともあって、なおさら、痛感する。

 >ことば嘔吐:http://ketsuraku.tumblr.com/post/73592235789/words

 

言葉は「自分そのもの」だから…

言葉にも、相手にも、しっかり面と向き合うことは、ものすごく難儀なこと。

「それ辞書にも意味が載っているから大丈夫でしょ」と相手に甘えがちだけど、実は意味の共有はできてないことが多い。日常茶飯事だ。

自分の“普通”は人からすれば“普通”じゃない。ほんとはちょっと違うのに、どちらかが遠慮しがちに合わせてたり、意味の答え合わせを怠けてたりするから、その普通がなんとなくまかり通ってしまう。

 

言葉は、自分そのものだ。だから自分が丁寧に使わないと、注意を払って相手の言葉に耳を傾けないと、心地よい会話は生まれにくい。

文章ということで言えば、書き手と読み手の会話なのだから、もの書きはその心地よさを大事にしたい。

しかも「話す」のと違って、後から意味を付け加えたり、訂正をすぐにできない。一度サラッと読まれただけで、正しかろうが間違っていようが“自分という人間”をそれとなく解釈されてしまう。

もの書き(自称でも!)として、そこらへん気を付けたい。

 

長々となったけど、その“言葉と自分の関係性”をうんとうんと考えるきっかけとして、『国語』を聴くのだよ。

そして、ぼくはちゃんと言葉を扱えているのか、文章を書けているのだろうか。ずっとずっと、これは、ぼくの問いであり続けるんだろうな。

 

おまけ(ハンバートハンバートとは?)

■ ハンバートハンバート

夫婦デュオ、三児、佐野 遊穂(さの・ゆうほ)/佐藤 良成(さとう・りょうせい)

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『国語』に限らず、そんな言葉を扱うヒントが、他の楽曲にも隠れている気がする。むさぼるようにいま聴いている。(こうやって書いている今まさに)

 

『おなじ話』や『蝙蝠傘』はものがたりを書いてみたい人に、

『荒神さま』は「やべー、書かかなきゃ!」と締切間近でケツを叩きたい人に、

『透明人間』は自分の文章で売れた気分を味わいたい人に、

 

よい気がします。おすすめです。

 

> Humbert Humbert[OFFICIAL WEB SITE』http://www.humberthumbert.net/
> humbertchannel[YouTube]http://www.youtube.com/user/humbertchannel 

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小豆島でぼくは人間になる。#2

 

2014年、明けましておめでとうございます。

年末年始は京都で過ごしたのですが、世間的にも仕事始めである1/6に小豆島に戻ってきました。居候の身ではありますが、家に着いたと同時に「帰ってきたー」という感覚があるのはとても嬉しいことです。

龍の伝説、西の滝に行きました

1/6は仕事始めだったこともあり、ポンさんに「西の滝/龍水寺」に連れていってもらいました。初詣にまだ行けてなかったので、ありがたかったです。西の滝は、山を登ったところにあります。

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西の滝には「悪事をはたらいた龍が弘法大師によって”かめ”に封じ込められ、その龍が罪滅ぼしに清水を絶やさぬよう湧かしている」というな伝説が

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参拝時にいらっしゃった和尚さん曰く、1200年以上前から建っていて、小豆島でもかなり古いお寺になるそうです。密教と関連あるヨガのお話も少し聞けました。

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甘酒の振る舞い。美味しかったです。

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西の滝から見下ろす小豆島は、絶景です。この写真の撮影地点からさらに上に登ると、空と海の視界がグッと広がります。

 

ポンさんの2014年の抱負「爆発」に対して、僕は「再」です。これまでに会った人や場所と再びつながる力を付けたいのが理由です。詳しくは他ブログに書きました。よければご覧頂けますと。

> 一字に一年を込める、日本人はいいな: http://8788.blog.jp/archives/kanji20132014

 

夜が長いから、向き合えること

実際の滞在日数はさておいて、小豆島の生活もちょうど1ヶ月目が終え、2ヶ月めに入りました。それでも未だに「島ならではのこと」が多々あります。「夜が長い」のもその一つです。正確には「夜が長く感じられる」なのですが。。

冬の季節のせいか、やはり日が落ちるのが早いです。夜になると外に出かけることも滅多にありません。暗くなったら、後は家で過ごす流れが出来あがってます。そんな日々が続いており、一日がとても長く感じられます。得してるかも。俗に言うスローライフとはこんな感じなんでしょうね。

東京に住んでいた時は、ほぼ終電で帰るような生活をしていました。また最近までいた京都では深夜2時までやっているスタ—バックスで夜な夜な過ごしていたので、尚更に違いをひしひしと感じます。

「夜、遊びに行く場所がない!(笑)」が本音です。出かける用事があるとすれば、ちょっとコンビ二に立ち読みにいくか、軽く散歩をするかです。もちろん、時には皆で集まって食卓を囲むことはありますが、日常茶飯事なわけではありません。

テレビやYouTubeを観る/本を読む/仕事を除くと、長い夜が手持ち無沙汰になることが多いわけです。暗がりもあってか、自然と自分に向き合う時間が生まれます。

題目もいろいろありますが、

” 自分にとって気持ちよい暮らしってなんだろうな?”

と考える機会が個人的には増えました。小豆島での暮らし、故郷の伊平屋島での暮らし、東京での暮らしを比較しながら自分の気持ちに向き合うことができるのは幸いです。

ゆっくりと考える行為と時間自体が、都会では強く意識しなければ取りにくいように思います。都会は常にスピードが求められ、迫りに迫った取捨選択をさせられがちなので。「ゆっくりと居る/在る」ただそれだけの大切さを、ただ小豆島にいるだけで、痛感しています。

 

人間になるための5つの方法

言い換えると、人間に近づく(人間らしくなる)ための方法です。

 

1. アナログ・タイムを増やす

:パソコンや電車など、便利/効率的なものに頼りすぎない。可能な限りは、白紙を相手に手作業したり、歩いての移動だったり、スローで動く時間をつくる。

 

2. 五感を研ぐ

:受け身で[聞く/見る/食べる/触れる/匂う]のでなく、自分から意識的に[聴く/視る/味わう/触る/嗅ぐ]を。ナイフのように鋭く、攻めの五感活用へ。

 

3. 感情はくっきりと表現する

:顔面と場面にメリハリをつけて、相手に伝わる感情表現ができるように。言わずとも”察する”のが日本人の素敵な感性だとも思うので、何でもかんでもという訳にはいかないけども。

 

4. 会話をおこす

:おすそわけや食卓を一緒に囲むなど、場や物などの共有が増えれば、自然に言葉も躱され、人と人との会話が生まれる。オンライン/オフライン問わず、共有する機会を作っていく。

 

5. 小さいことを可愛がる

:些細なことに気を配る。遠くの人より、目の前の人のちょっとした事に気付ける、何か手伝えるものを探す。ネットも手紙もなかった時代を想像すると、コミュニティは身の回りの人だけで形成されてただろうし。だから目の前で起きる事から始める。

 

と…先ほど触れた「再」を今年の(表)抱負とすれば、こちらの方法を実践することが今年の(裏)抱負です。人間になりたいんです笑。2014年もさまざまな方に、僕が人間になるのを手助けしてもらうと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2014-01-06 08.57.18

> 小豆島でぼくは人間になる。#0-:http://nurariworks.com/archives/category/imat/shodoshima

>小豆島でぼくは人間になる。[extra]#1-:http://8788.blog.jp/archives/shodoshima

 

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