中途半端な「400字」で、地域をめぐる

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最近になって、やっと「ちょっとずつやる」を強く意識しはじめた。

28年間を、「0か100か」のスタイルで、勉強と仕事に向き合う、身体と脳みそで過ごしてきたわけで、この反射をすぐに変えることなんてできない。「すぐ」という甘い蜜に飛びつくと、たいていは、痛い目に合う。

だからこそ、「ちょっとずつ」なのだ。ゆるやかな変化をつくれたら、と思う。

「ちょっとずつ」が苦手なのは、なぜか。おそらく、自分のなかで腹落ちできず、身体が反応していないだけだろう。

先日ふと手にとった本で、なにか進めたいものがあるとき、ちょっとだけ「中途半端に」手を付けておけば、次が動かしやすくなる、と書いていた。

あ、なるほど。

今まで、ぼくは「きれいに、ちょっとずつやる」に気を取られていたが、「中途半端に〜」でいいみたいだ。文量的には、400字が中途半端にちょうどいい。そこで、2016年にめぐってきた地域と人について振り返ってみようか。

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「九州変態会議」「移住フェス」などを経て、いま思うこと

30日、31日は東京にきておりまして、「移住」を主なテーマにしながら動き回っていました。たくさんの出会いがあって、それは初対面も再会もあってで、よい週末を過ごせた気がします。

さてさて、順を追いますと、30日は「九州変態会議」というイベントへ足を運びました。以前も少し触れた「みんなの移住計画」のなかの「〇〇移住計画」を九州で展開するメンバーが集まったこちらの会。

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知る、が行きつくところ

家にいるとどうしても落ち着かない、気が散ってしまうことが多い。夕暮れあと、いつも通りに作業をしようと、バスに乗ってよくカフェに向かう。

だけど、がま口(小銭入れ)を持ってカフェに着いたはいいが、財布(札入れ)を忘れていたようだ。やっちゃった、と帰りのバス賃もなく、歩いておうちまで。

歩くことは、考えること、整理すること。とぼくの中で役割が決まっている。だから、しごとの一部だし、くらしの一部でもある。

あれのことをあれこれ考えた。語られること、話題にされること自体に意味があるのだと思う。そして、「知る」とは「人にやさしくなる」ことではないか。

帰りの徒歩、いい時間だった。そして、もろもろ取り組むぞ@おうち

 

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元上司は、今上司

変わらない関係、変わってほしくない関係というのはある。親しみを込めて、上司と部下の契約的とも情緒的とも言えた、この関係性はそのままに。

先日、以前の勤務先の上司が、出張で沖縄までやってきた。そんなわけで、ぼくは声をかけてもらえたわけで。

滞在中の2夜連続でサシで飲む。グラス片手に、ついでに沖縄料理に、昔ばなしに花が咲く。

と同時に、上司に対してしみったれて、ああでもないこうでもないと言うぼくがいて、それは昔もそうで、その時もおなじで、すべてが再現されたかよう。

ぼくの生意気さを受けれてくれて、ほどよくいなしてくれて、アッとする気づきをくれる元上司は、なんだかんだ今も変わらずぼくの上司だった。

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ここ落ち着くよな

自分の居場所はどこにあるのか。みんなだれでも、いつどんなときにも、気がつけば探してる。

落ち着ける場所ってのは、ほんと大事だ。1年半ほどずっと居候生活をしていたぼくが言うんだから、わりと間違いないよ。わりとね。

でも、落ち着くだけじゃだめなんだよな。そこでずっと甘んじてちゃあさ。よいイメージは、慣れた場所に片足つっこみつつ、片足は新しいところに踏み入れまくるかんじ。

「うわ、やっちゃった!」となったとき、戻れる地点として、落ち着ける場所は価値がある。何度でもスタート地点となるところ。大きく飛びたつための滑走路とも言えるのかな。

だから安心を感じる。そんな場所を、沖縄でもやっと見つけたよ。

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部活のじかん

小学校から大学まで、野球、陸上、駅伝、アメフト、と部活をやってきて、そこを離れてもう6年半が経つ。あの時あった、バカみたいに、なにかに夢中になる感覚はどこにいったのか。

なんて、おセンチでしょ。最近になって、沖縄に戻ってきて、やっとというか、またきたか、とあの感覚が、体の奥底からふわ〜っと浮かんできたや。

ひとりじゃなく、だれかとなにかに取り組む、そして、そのなにかでとことん話ができるというか、単純に尽きないというか。終わりもきっとない。

昔できなかったことができるよになり、たくさんの部活を乗りこえてきたからこその、大人の部活、が今ならできるんじゃないかなぁ。と。部活のじかんが、また動き出したよ。

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きみは赤ちゃん、みたいになれるかな


川上未映子のファンだ。『乳と卵』で芥川賞をとったとき、なんかのインタビューで生い立ちを知ったんだけど、そこで惹かれたなあ。

その背景を知ったうえでの、思索的というか、あっちへこっちへいったりする、だらだらとしてるんだけど、するするといた文章で、さらにずるずると引き込まれた。しかも美人ときた。


エッセイ『きみは赤ちゃん』をいま読んでいる。自身の出産と育児について、おもしろおかしく、たらたらと(賞賛すべき)つづられている。

湧かぬ出産のイメージをつかめるのは、夫のいい準備になる。それよりも、なによりも、文章に驚かされまくっている。

 

ボケとツッコミのある「ひとり漫才」っぽい文章を、いま、ぼくは学んでいる。

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受け入れるひろさ

最近よく行く珈琲屋さんが、いい。「いい」には、いろんな「いい」がある。

珈琲もデザートもごはんもおいしいから、いい。音楽と空間が、いい。なによりも、いろんな人が集まるのが、いい。

 

職種、年齢、ジェンダー、は関わらずに、常連さんも一見さんも、子どもも大人も、ひとつの場所にいるという現象。

 

こんな風景があった。子ども連れの常連さんがきてたときのこと。子どもがあちこち動くんだけど、他のお客さんがあやすように子どもと会話する、お父さんとの会話にもつながる。

すごくあたたかな空気がそこには流れていた。調和された空間だったなぁと。そういう場をつくるのは、結局は、店主の人柄があるんだろうけど。結局は、店主が、いい。

 

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夕暮れどき、散歩に出かけてよかった

家をでると、もあもあもあもあ蒸し暑さを感じる。今日は無風だからなおさらか。ぼくはふらっと歩きはじめた。

あの企画どうやったら跳ねるのかなぁ、ちょっとあれは悪いことしたよなぁ、と頭のなかをわんぱくな思考が暴れまわる。よくよく見てみると、煮詰まっていない、落ち着きのないものばっか。

 

途中、喉が渇いて自動販売機でボタンを押す。チェリオは高校生のときに世話になったな、なんてことを思いながら。

また歩く。頭のなかが気になり過ぎて、目に映っているようで映ってないものばかり。だけど、突然、目がさらわれた。夕焼けが紅い、雲間がうつくしい。

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何秒、立ち尽くしてたんだろう、じっと目に焼き付けて、またぼくは歩き出した。

 

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禁酒します(はたして、これは禁酒なのか)

いやね、お酒が嫌いとか、飲めないわけじゃないの。

飲むと次の日にひびくことが多くてね。それは、お酒が残ってて困ったな、というのと、飲んで過ごしてた時間でつくれたものがあったな、というふたつ。

 

時期の問題。かたちにしたいことがあれこれ出てきたから、ドンと構えて取り組む時間はつくりたいし、自分のペースを壊さないようにしなくてはと。酒はちょっと天敵。

まだまだ自分に腕がないと弱さを認めつつも、腕を磨くための生け贄として「酒」を捧げることに。

 

ただ、自分がつくるお酒(カクテル)だけは飲んでもいいっていう特別ルール。味見がほとんどだけどね。とにかく、黙々粛々とやろうやろう。

 

ほんと、飲みは楽しいんだけどなあ。

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